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大阪地方裁判所 昭和46年(ワ)3688号 判決 1985年3月14日

原告

大阪府民信用組合

右代表者

山田一美

水野忠護

右訴訟代理人

久保井一匡

上田潤二郎

被告

吉本照夫

右訴訟代理人

井上太郎

入江菊之助

矢代勝

被告

北口藤太郎

被告

今市満

右両名訴訟代理人

鏑木圭介

主文

一  被告吉本照夫は、原告に対し、金一億五一一八万一九九七円及びうち金七六一二万七三三九円に対する昭和四五年一二月三日から、うち金九四七万八六五八円に対する昭和四七年一一月一二日から、うち金四一六三万六〇〇〇円に対する昭和四九年二月一九日から、うち金二三九四万円に対する同年四月七日から、各支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告北口藤太郎、同今市満は、原告に対し、各自金四四五一万六六六〇円及びこれに対する、被告北口藤太郎は昭和四六年八月二一日から、同今市満は同月二二日から、各支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、原告に生じた費用を一〇分し、その二を被告ら三名各自の、その五は被告吉本の各負担とし、被告吉本に生じた費用はこれを一〇分し、その三を原告の負担とし、その余はすべて各自の負担とする。

五  この判決は、第一、二項に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一<省略>

二そこで、同2ないし4の事実について判断するに、<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  南支店の得意先係主任として、得意先の開拓・預金の勧誘・集金・貸付申込みの取次等の業務に従事していた被告北口は、昭和四一年五月ごろ叔父の遺産の土地の処分を頼まれ、その際、買手として現れた木下と知合つたのであるが、当時、木下は、ピータイル製造を目的とする日帝産業株式会社を経営しているということであり、資産家のように振舞つていたので、被告北口は木下に対し、原告に預金してくれるように頼んだ結果、昭和四一年九月、木下から無記名の定期預金(期間三か月)として五〇〇万円の預入れを受けた。当時、南支店では二〇万ないし三〇万円位の小口の預金がほとんどであり、一口一〇〇万円を超えるような大口の預金はめつたにない状態であつたため、木下の右預金は同支店としては破格のものであり、昭和四一年末には、南支店長の被告吉本も被告北口とともに奈良の木下方へあいさつに出向き、右預金の期間延長方を頼み込み、木下からその承諾を得ることができた。

ところで、年が明けた昭和四二年二月、木下は、被告北口を通じて南支店に対し、右定期預金を担保とする融資方を求めてきたため、被告吉本もこれを承諾したものであるが、担保とするためには無記名預金ではその資格がないところから、同年二月二七日、右定期預金を木下の申出により無記名から青山俊彦という架空名義の定期預金に書換えたうえ、同日、右定期預金を担保として、南支店から木下に対する五〇〇万円の貸付が行われた。ただ、右貸付に当たつては、木下は、右定期預金とする資金は裏金であり、税金対策上の問題があるので、預金証書は原告に預託せずに自分の手元に保管しておきたい、もしこれに応じてもらえないなら右預金は引き上げる、応じてもらえるなら他の金融機関に預けてある預金も払戻を受けて原告に預入れると述べて、右定期預金証書を原告に差入れることを拒んだので、南支店の貸付担当者であつた被告今市らも困惑し、被告吉本に相談したところ、原告の営業基本方針の一つである預金獲得、預金高増強で頭が一杯になつていた同被告は、やむなく木下の右要求に応じることとして、右貸付については、定期預金を担保(質権設定)としながら、預金証書は質権者である原告(南支店)のもとには預託しない取扱いで処理されることになつた。ちなみに、原告においては、定期預金を担保にして貸付をする場合には、貸付額が担保とされる預金額の範囲内である限り、本店の禀議を経なくても支店長の権限としてこれを行うことができることになつていたため、右違法な取扱も昭和四三年八月七日、本訴で問題となつている一連の横領事件が発覚するまで本店の知るところとはならなかつたのである。

なお、原告の行う融資の相手はその組合員に限定されているところ(協同組合法九条の八第一項一号)、木下は原告の組合員ではなかつたのであるが、原告においては、定期預金を担保とする場合には、組合員でない者に対し、いわゆる員外貸付をする場合も多かつたので、この点については、当初から被告吉本らも全く問題にはしていなかつた。

その後も木下は、原告(南支店)に対し、昭和四二年二月二七日、木下三郎名義で一〇〇〇万円、末広太郎名義で五〇〇万円の定期預金をし、翌二八日、これらを担保として一五〇〇万円を、同年三月二日、樽谷五郎名義で一〇〇〇万円、竹下博、筒井敏郎名義で各五〇〇万円の定期預金をして、翌三日、これらを担保として計二〇〇〇万円を、同年五月一日には、高木省三名義で六七〇万円の定期預金をし、同月一一日、右預金を担保として六〇〇万円を、また同年五月一日、伴三郎名義で一三三二万円の定期預金をし、同月二四日、これと右高木名義の預金を担保として二〇〇二万円を(右五月一一日付の六〇〇万円の貸付金は、これにより五月二四日付をもつて返済されている。)、同年五月二九日、姫野次郎、江藤功名義で各五〇〇万円の定期預金をし、同日、これを担保として一〇〇〇万円をそれぞれ原告(南支店)から貸付を受けたのであるが、いずれも第一回目の貸付の場合と同様、定期預金を担保に入れながら、預金証書は原告に差し入れず、自ら持帰つたままであつた。

なお、木下がこのように次々と高額の預金をし、またこれを担保として貸付を受けたのは(ちなみに、原告(南支店)が木下に貸付けた金利は、支店長である被告吉本の裁量により、日歩1.4銭ないし1.5銭という極めて低い率に決められたため、原告としては、担保である預金の利率である日歩1.123銭との差のみが利益となるにすぎなかつた。)、木下の言い分によれば、いずれ木下は原告から不動産を担保として事業資金を借りる計画があり、その実績づくりのためであるということであり、現に昭和四二年五月上旬ごろには、木下から原告(南支店)に対し、奈良県北葛城郡新庄町にある木下所有の土地建物を担保とする融資申込がなされたが、本店で調査した結果、右担保物件には悪質な金融ブローカーが関係している気配があるとして、右融資申込を拒否するよう南支店に対し指示がなされた。

2  ところが、昭和四二年六月末ごろ、被告北口は、木下方において、かねて木下から紹介され原告(南支店)に融資を求めてきたこともある和泉(同人は当時建設会社を経営していると言つていたが、のち暴力団関係者であることも判明した。)と木下の間において、木下が知人の大堀省三から預かつていた金を木下や和泉が勝手に預金したうえ、これを担保にして貸付けを受け費消しているとしてなじり合つている場に居合わせ、木下が南支店にした前記各定期預金の真実の預金者が木下でなく、右大堀であることを初めて知り驚がくしたところ、更に、和泉から、近く他の金融機関から二億円位の融資を受けることになつており、それにより原告の木下に対する前記各貸付金(当時の残債権額は六五〇二万円であつた。)をも返済してやるから、右融資を受けるまでのつなぎ資金の貸付をしろ、もしこれに応じなければ、原告(南支店)が預金証書も取らずに預金を担保として貸付をしたことを世間に公表すると脅されて融資方を強要されるに至つた。

被告北口から右報告を受けた被告吉本は、直ちに木下に対する前記一連の貸付に関係した北口をはじめ、南支店の貸付担当者であつた被告今市らと善後策を協議した結果、もし和泉の要求を拒否していわゆる違法貸付の事実が表沙汰になれば、原告の信用にも傷がつき、木下に貸付けた金も回収できなくなるうえ、被告吉本ら関係者もその責任を追及される羽目になるとして、南支店限りで右和泉の問題を処理することにした。

そこで、被告らは、和泉への貸付金のほか大堀省三に対する定期預金の払戻の問題もあり、その資金を作るため、木下の示唆により、高利(日歩八銭ないし一一銭)の裏利息を払つて預金を集め、これを担保とする架空の貸付手続をし、この架空貸付金でもつて、和泉への貸付、大堀の預金の払戻のほか、右裏利息の支払、更には右導入預金の払戻の資金に充てることにし、昭和四二年六月三〇日、片山光彦、児玉芳男名義の各定期預金を担保とする計五〇〇万円の架空貸付処理をして、これを和泉に貸付けたのを初めとして、以降同様の方法により、右貸付、払戻、金利の支払等をしてきたのである。

ところが、昭和四二年一一月中旬、原告本店で開かれた同年九月期仮決算後の業務担当者会議の席上において、同会議に出席していた被告今市らが、理事長の竹原秀三から、南支店は貸付額は多いのに利益が異常に少ないとの叱責を受け、経理に欠損を生じているのではないか、預金額を粉飾しているのでないか等との追及を受けるに至つたため、この報告を受けた被告らは、このまま前記架空貸付処理を続けるならば一層強く本店の疑惑を招くことになるとして、以降は一旦預金の受入れ手続をし、預金証書を発行交付した後に、預金記入帳等関係帳簿の入金記載を抹消し(これを「本行抹消」という。)、又は当初から帳簿上には預金受入れを記載せずに、預金者から預入れ交付を受けた金員を原告に納入せず(ただし、預金者には預金証書を交付する。)、そのまま前記各用途に流用する、いわゆる簿外預金の方法も採ることにし、まず第一回として、同年一一月二五日預入れを受けた浦口正美名義の一二三七万円の定期預金(後に何回か継続され第三表4となつている。なお、この継続の点は第三表5、6についても同じ。)を右本行抹消の方法で処理した。

本訴において原告が主張している損害のうち、第一表記載のものが右架空貸付処理がなされた分であり、第二ないし第四表記載のものが右簿外預金として被告らが勝手に流用した分である(ただし、第三表12記載のものは、前記木下が昭和四二年五月一日に高木省三、伴三郎名義でなした定期預金が継続されたものであり、同7ないし9記載のものは第一表1記載の架空貸付に当たりその担保とされたものである。)。

なお、右架空貸付、簿外預金の処理については、被告北口はもつぱら定期預金の受入れ交渉、裏利息の支払など渉外関係を、被告今市は右架空貸付や預金受入れの事務処理及び預金証書の発行等事務関係を担当した。

3  ところで、前記木下に対する貸付金のうち、昭和四二年二月二七日貸付分は、同年五月二日付をもつて担保の定期預金払戻債務と相殺して回収されており、同年二月二八日の一五〇〇万円の貸付分は、同年一一月二五日預入れの前記浦口正美名義の一二三七万円と同月二七日預入れの山内次郎名義の三二九万円(これは第三表45に当たる。)等を簿外預金として作り出した資金により、担保となつていた定期預金の払戻を行つて、預金者の大堀省三から預金証書を取り返し、帳簿上、同年一一月二七日付相殺処理により回収した形がとられており、同年三月三日貸付の二〇〇〇万円は、昭和四二年一二月中旬、大堀省三から預金払戻請求があり(右預金の満期は、継続処理がなされたため、同年一二月二日となつていた。)、被告北口、今市らが同人と交渉した結果、被告吉本も了承のもとに、これを分割して支払うことになり、昭和四三年一月一九日、二〇日両日に受入れた清水正男、清水正弘名義の三口計一五〇〇万円(第四表1ないし3)、同年二月一〇日及び同月一二日受入れの北条晋治郎名義の二口計三〇〇万円(第二表12)を簿外預金とし、また、同年二月三日、同月八日付北隆三名義の架空貸付二口計五〇〇万円(第一表11)等により作り出した資金により、同年一月二〇日から同年二月二一日までの間に五回にわたり元利合計二〇一一万六一四四円を大堀に支払つて右預金証書を取戻し、帳簿上は昭和四二年一二月二日付で相殺処理をし、また、同年五月二四日貸付の二〇〇万円は未回収のままであり、同月二九日貸付の一〇〇〇万円は、愛知産商株式会社という名称で不動産業を営んでいた増永幸子が木下に一〇〇〇万円を貸付けて、これにより右貸付金の担保となつていた定期預金証書を前記大堀から取戻し、原告(南支店)において、帳簿上は同年九月二日付で相殺処理をして回収ずみとしてあるのであるが、のち右一〇〇〇万円は右増永が木下に代わり原告(南支店)にその支払を求めてきたので、被告北口が架空貸付処理により作り出した資金の中からやむなくこれを支払つている。

4  次に、和泉に対する貸付金の合計額は必ずしも明確ではないが、七五〇〇万円位にものぼつていると考えられており、このうち一部のみは、和泉から北口名義で取得しておいた担保物件により、発覚後に原告が代物弁済(又は北口の代物弁済予約による権利譲渡)を受けているが、先順位の担保権の実行を受けたりしたため、少なくとも現時点においては、債権の回収は全くなされていない。和泉に対し貸付をするに当たつては、被告らは、担保として、和泉から、大阪市旭区にある四階建のマンションや豊中市の土地建物等の権利証をはじめ担保権設定登記に必要な書類の交付を受けていたのであるが、昭和四二年九月、和泉がいよいよ他の金融機関から融資が出るようになつたとして右権利証等の返還方を求めてきたため、右物件に代え、木下の前記奈良県北葛城郡の土地建物に担保権を設定することになり、同年九月二一日付で右物件につき、被告北口名義の抵当権設定登記(債権額六一〇〇万円)、所有権移転仮登記、賃借権設定請求権仮登記がなされた。右登記が北口名義でなされたのは、貸付及び担保権設定が正規の手続でなされたものではなかつたため、原告名義とするわけにもいかず、便宜、関係者の一人である北口の名前が使われたにすぎないのである。ところが、その後、前記増永が右物件を担保として、他の金融機関から、木下の借受債務弁済の資金融資を受けることができることになつたが、そのためには、右北口の仮登記の抹消が必要であると申出てきたため、被告吉本もこれを了とし、昭和四二年一一月九日付をもつて、同月九日解約、放棄を原因として右仮登記を抹消したところ、増永は右約束を守らず、結局、右物件は木下から増永の手を経て、現在第三者の所有となつてしまつている。また、前記和泉の担保物件については、融資を受ける話が駄目になつた後、交渉の結果、再び担保に入れさせることになり、豊中市庄内西町、尼崎市昭和通、大阪市東淀川区加島町の土地建物等について、昭和四二年一〇、一一月ごろ、被告北口名義で抵当権設定登記(被担保債権額六〇〇万円ないし一六〇〇万円)及び賃借権設定仮登記を経由し、更に、そのうち一部の物件について、昭和四二年一一月から翌四三年一月ごろにかけて被告北口名義で売買を原因とする所有権移転登記をし、また、そのうちの一部の物件が、前記のとおり、昭和四三年八月、代物弁済を原因として原告に所有権移転登記(又は所有権移転仮登記)がなされたのである。

5  その他、前記預金の導入に関連して、木下の子供である木下大嗣や久保田日出和らからも貸付方を求められ、被告らはこれにも応じることを余儀なくさせられたのであるが、これらの貸付分についても、木下や和泉に対するものと同様、今後回収できる見込みは全く立つておらず、また、導入預金の裏利息の支払も三九〇〇万円を超えているのであつて、これらの貸付や支払に充てるため、被告らが行つた前記架空貸付、簿外預金額は雪だるま式にふくれ上がつて行つたのである。

もちろん第一表記載の損害分は架空の貸付であるから実在の債務者はいないのであり、第二ないし第四表関係の損害分については、原告が主張するとおり、原告は各預金者からの払戻請求を受け、帳簿に受入れ記載がないとして支払を拒絶したが、支払請求の民事裁判を提起されて第一審はすべて敗訴し、控訴審においても敗訴し又は控訴審で訴訟上の和解をして、すべてその主張どおり支払を終えている。

6  右被告らによる一連の違法行為は、ある定期預金の払戻に手違いがあつたことから本店の疑惑を招き、昭和四三年八月七日、本店の調査を受けて発覚したのであるが、その直後、被告吉本は被告北口、今市両名に対し、もし右不正行為に支店長まで加わつていたことが知れると、取付け騒ぎを引き起こし、原告が倒産する危険もあり、損害の弁償は資産のある被告吉本が一切引受けるから犯行は右被告両名がしたことにしてくれと頼み、同被告らもこれを承諾したため、関係者一同口裏を合わせて、本店、大阪府、更には捜査機関に対しても、その趣旨の報告・供述をした結果、被告北口、今市両名のみが業務上横領罪・詐欺罪で起訴されたのであるが、その後、被告吉本が約束を破つて原告に損害の弁償をしないばかりか、居留守を使つて右被告らと会おうともしない態度に出るようになつたので、右両被告は憤慨し、昭和四四年秋ごろから、真実のとおり、右一連の違法行為には被告吉本も加担していたことを刑事公判廷で告白するに至つた。以上の各事実を認めることができる。

ところで、被告吉本は、木下に対する一五〇〇万円の貸付を一回承認したことがあるのみで、右認定にかかるその余の貸付及び架空貸付・簿外預金等には全く関与していないと供述し、前掲証拠中にもこれに沿うかのごときものも存在する。

しかし、前記認定にかかる木下からの定期預金受入れ及び同人に対する貸付に端を発した導入預金並びにこれによる架空貸付・簿外預金処理(以下「本件事件」という)は、その操作金額も極めて多額であり、かつ長期間にわたるものであつて、職員数も内務係・外務係を合わせて一〇数名、事務所も一〇坪余位の部屋が一つ切りの小さな支店である南支店において、支店長を抜きにしてこのような大がかりな貸付・預金の処理・操作を行うことは到底できないと考えられるうえ、前記認定のとおり、南支店では大口の定期預金はごく僅かしかなかつたにもかかわらず、昭和四二年二月以降は一〇〇〇万円、五〇〇万円という極めて大口の定期預金が次々と預入れられ、また、これを担保とする大口の貸付も増えているのであり、支店長がこれについて特に不審を抱かなかつたというのも納得しかねることであるばかりか(ちなみに、前掲甲第三〇号証の四等によれば、本店からは日ごろ大口の預金は導入預金につながるおそれがあるため注意するようにとの指示がなされていたことも認められる。)、特に右貸付・預金額の増加は、預金の導入及びこれによる架空貸付の始まつた昭和四二年六月以降においていちじるしく、<証拠>によれば、被告吉本は右大口の導入預金者である福村武吉、伊藤渡等と直接会つてあいさつをしていることも認められるのであつて、前記認定のとおり、本件一連の事件のきつかけとなつた木下に対する第一回目の貸付に当たり、被告吉本が担保である預金証書の交付を受けずに貸付を承諾するに至つた動機についても、当時南支店としては、木下の定期預金は極めて大口のものであり、また、右時点において、被告らは木下の素姓等について全く疑いを抱いてもいなかつたのであるから、預金の獲得増強のため日夜陣頭に立つて精力をつぎ込んでいた被告吉本としては、木下の申出に飛びついたのも、誠にもつともなことと思われるのであり、また、被告北口、今市両名のほか南支店の貸付係・得意先係主任として本件事件にも関係してきた詰石義広も、現在においては、被告吉本も当初から本件事件に加担していたことを認める供述をするに至つているのであるが(なお、<証拠>によれば、昭和四二年九月、南支店に支店長代理格として着任し、以降本件事件に否応なく関与せざるをえない立場に追い込まれた三杉賢三は、被告吉本も右事件に相当程度関与していたことを認めるかのような供述もするが、右供述当時は、三杉自身も本訴で被告の一人として訴えられていたためもあつてか、右供述は歯切れが悪く、もう一つ明確性を欠くことが認められる。)、これはすでに認定したとおり、被告吉本が被告北口、今市両名のみに罪を被せておきながら、約束に反し、損害の弁償を全くしなかつたためというのであつて、供述を変えるに至つた動機としては、十分に首肯させるに足りるものがあるばかりでなく(ちなみに、前掲被告吉本、同今市の各本人供述によれば、被告吉本は本件事件が発覚して後、原告に預けてあつた貯金の払戻をしていることも認められ、被告北口、今市両名が供述を変えるに至つた事情として述べていることは信をおくに足りると思われる。)、特に本件事件の関係者の中でも、すでに原告を退職しており、また、当時、民事・刑事の裁判にも関係がなくなつていたため、もつとも利害関係が小さい立場にあつた前記詰石の本法廷における証言が一番信用できると考えられるところ、同証人は、被告吉本も本件事件に共同加功していたことを明言しており、更に、<証拠>によれば、被告北口、今市両名に対する大阪地方裁判所の刑事判決は、その中で被告吉本の行為に触れ、同被告は大堀省三の定期預金及びこれを担保とする木下への貸付には関係していたため、大堀の定期預金の払戻のための資金作りである前記簿外預金には参画したが、和泉に対する貸付には関係していなかつたとして、架空貸付分には関与していないと認定しているのであるが、前記認定のとおり、大堀の定期預金の預入れ、木下に対する貸付、和泉に対する貸付、導入預金の裏利息の支払及び導入預金の払戻、また、木下の子供らに対する貸付などはすべて一連の関連性のある出来事であるばかりでなく、昭和四二年一一月二五日から架空貸付と簿外預金との併用に切替えたのも、本店の目をくらますためであつたにすぎず、架空貸付と簿外預金を、これにより調達した資金の用途により区別すべき合理的な根拠は全く認められないのであつて、これらの各事実のほか、更に前掲各証拠とも対比すれば、前記認定に反する被告吉本本人の供述部分は到底信用することができず、<反証排斥略>。

前記認定事実によれば、被告らは、原告主張のとおり、架空貸付及び簿外預金の方法により、原告の金員をほしいままに和泉らに対する貸付・導入した預金の裏利息の支払、導入預金の払戻、更には大堀省三の定期預金の払戻等に費消して横領し、第一表記載及び第二ないし第四表(ただし第三表7ないし9は除く。)関係で原告主張のとおり合計二億二五八三万三七四一円の損害を原告に被らせたということができる。

<中略>

よつて、被告らの前記行為は故意による共同不法行為であるということができるので、その他の責任原因について検討するまでもなく、被告らは前記損害につき各自損害賠償責任を負うといわなければならない。

三次に、過失相殺(被告吉本の主張(一))について検討するに、前記二認定事実のほか、<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

1  原告には、定期預金証書用紙等の管理についての取扱規則もなく、金融機関の業務管理としてはずさんであつたことが、前記二認定のような簿外預金等の大量発生を可能にしたものである。

2  昭和四二年二月以降とくに六月ころからは、南支店では預金や貸付が異常な程増えているにもかかわらず利益が少なく成績不良であることは本店に対する毎日の日報や毎月の営業報告書によつて原告にも判明しており、同年一一月には前記認定二のとおり、竹原理事長から被告今市らにその旨注意したが、その際同被告らは黙して語らなかつたので竹原理事長も不審の念を抱いたのみならず、それまでにも同年九月にはいわゆる導入屋の丸喜商事が南支店へ持参する予定になつていた導入預金を間違つて原告本店へ持参したこともあつて、原告としては南支店の業務につき不審を抱き監査すべきであつたのに、少なくとも昭和三九年七月以降同四三年八月の本件発覚まで南支店の業務についての監査を全くせず(同年七月には会計監査がなされたが問題はないものとして済んでいる。)、放置していた。

3  他方、前記二認定によれば、被告らが本件行為に及んだのは、自分達が利得することを目的としたためではなく、預金高増強という原告の営業方針に乗じた木下俊文の詐欺的行為に由来するいわゆる違法貸付の公表による原告の信用毀損や損害回収不能等をおそれ、被告らだけで損害回収等収拾をはかろうとして、深みにはまつた面が大きいということができる。

4 被告北口、同今市は横領の犯歴ある者であるにもかかわらず、金融機関である原告がこれを採用して南支店に配置していたほか、南支店について公平適切な人事がされていたかについても疑問があり、これが南支店において本件のような不祥事の発生する一つの遠因になつたものといいうる。

そして、右のような諸事情を考慮すれば、本件損害の発生ないし拡大について原告の側にも落度があつたことは否定できないというべきであるから、被告吉本の行為により原告の受けた損害のうち過失相殺として三〇パーセントを減じるのを相当と認める。

四ないし七<省略>

八結論

以上のとおりであるから、被告北口、今市は各自、前記認定の第一表記載13ないし28の損害合計額から同被告らが損害補填をしたと弁論の全趣旨より認められる金六九〇万一六二一円を差引いた金四四五一万六六六〇円(なお、前記三の過失相殺についての判断は被告北口、今市についても同様にあてはまるけれども、右過失相殺による減額分は、被告らの共同不法行為により生じた全損害のうち原告が被告北口、今市に請求していない部分に充当すべきものであるので、被告北口、今市に対する認容額に変動は生じない。)及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であること本件記録上明らかな、被告北口は昭和四六年八月二一日、同今市は同月二二日から各支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を、被告吉本は前記認定の第一表記載及び第二表ないし第四表(ただし第三表7ないし9を除く。)関係の各損害額を前記三認定の割合で過失相殺した額から被告北口、今市の右損害補填分を差引いた金一億五一一八万一九九七円(ただし、円未満切捨て。以下同じ)及びうち七六一二万七三三九円(なお、被告北口、今市の損害補填分は、同被告らと同様第一表記載13ないし28の損害額に充当する。)は本件訴状送達の日の翌日であること本件記録上明らかな昭和四五年一二月三日から、うち金九四七万八六五八円は第二表関係の損害発生の日の後である昭和四七年一一月一二日から、うち金四一六三万六〇〇〇円は第三表関係の損害発生の日の後である昭和四九年二月一九日から、うち金二三九四万円は第四表関係の損害発生の日の後である同年四月七日から各支払済まで、民法所定年五分の割合による遅延損害金を、それぞれ原告に対し支払う義務があるといえる。よつて、原告の請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないので棄却し、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行の宣言については同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(古川正孝 福富昌昭 宮本初美)

第一表 架空貸出損害金一覧表<省略>

第二表〜第四表<省略>

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